それは、周囲の可哀想という言葉掛けや想いに、当人は自分を可哀想な存在だと思ってしまったり、そこに留まらせてしまったりするかもしれないこと。
周りの人の想いは、当人の気持ちを捉えているのだろうか。自分の気持ちを楽にしたくて、可哀想だと言いたくなる気持ちはも分かるが、まずは話を聞いてからだろう。
もしかすると、歩み出せる状態なのに、周りが過去に押しとどめている可能性もあるのかもしれない。
一方で、ある支援団体では、お母さん方が働き口を求めて、自分たちで食堂を作った。その食堂の支援を求めたところ、全国から支援者が現れたそうだ。
色々な人や状況があるが、現在の支援では、相手が行きたい方向へ、後押しできるような支援が出来ればいいと、このとき思った。
こちらが“頑張って欲しい”と思っても支援は難しく、やはりその人の“頑張りたい”、という気持ちがないと、支援の意味は概してなくなってしまう。
同様に、可哀想だと思って、子どもに対して、何でも与えてしまっては、それは子どものためになりえない。小さい頃から好きなだけお菓子やオモチャを買ってもらった子どもは、大人になってどのようになるのだろうか。周りの気持ちは、子どもの成長を阻んでいるのかもしれない。
同じベクトルをもった支援。成長を見据える支援。そんな支援が出来ればいいな。
そのためには、相手のニーズを聞くこと。
ニーズが分からなければ、一緒に考えること。
気持ちが前に進むのを阻んでいるのは何か、一緒に考えること。
ボトムアップに、現場から。そんなところから、始められればと思う。
(大)
当法人の理事である東京大学医科学研究所の上昌広先生のお誘いを受け、「現場からの医療改革推進協議会 第七回シンポジウム」にて相馬フォロアーチームの活動と被災地における心理支援の現状について報告してきました。
立谷相馬市長の後の発表で大変緊張しましたが、いつもフォロアーチームとして心がけていることを伝え、普段取り組んでいるあたり前の活動について、自分なりに丁寧に説明ができたと思います。
終了後は、興味を持っていただいたフロアーの方から質問をして頂きました。3.11のような大規模災害が発生すると「PTSD」という言葉ばかりが独り歩きして、問題ばかりをあげつらいがちです。私たちフォロアーチームとしては、個々の努力や頑張りに注目してお手伝いをしていきたいと思います。
貴重な機会を頂きましたことを感謝いたします。 (吉)