「スタッフのコラム」を更新しました!(R3.2.3)

 

 

○ ヒ・ミ・ツ!?

 

その1 東野圭吾の『秘密』についてのお話

今回は“秘密”について、いろんな角度から掘り下げてみたいと思います。

東野圭吾の小説に『秘密』という作品があります。映画化やドラマ化もされており、ご存知の方もいるかと思います。自動車部品会社に勤める主人公の杉田平介は、ある朝、テレビで妻と娘がバス事故に遭ったことを知ります。妻の直子と一人娘の藻奈美が実家のある長野へ、スキーバスツアーを利用した帰省の途中のことでした。平介は二人が入院している病院に駆け付けますが、危篤状態の妻はまもなく死亡しました。一方娘は意識不明が続き、医師から植物状態のままかも知れないと告げられていました。しかし、奇跡的に意識を取り戻します。喜びもつかの間、平介は、娘から驚くことを聞かされます。自分は藻奈美ではなく、直子だと言うのです。最初は信じられない平介でしたが、話を聞くにつれ信じざるを得なくなります。これは誰にも話せない2人だけの“秘密”として、成長とともに藻奈美の魂が蘇り、次第に妻が消えてゆくまで、戸惑いや怒りなど悲喜こもごもの2人(3人?)の約14年間のエピソードが描かれています。物語では主人公周辺の登場人物の“秘密”も明かされますし、小説の最後でまた“秘密”が発覚することになりますが、その辺りの仔細についてまで書いては、小説としての面白味がなくなります。未読で興味のある方は小説を読まれると良いでしょう。

 

その2 小此木啓吾著『秘密の心理』から

話は変わりますが、日本における精神分析の第一人者である小此木(おこのぎ)啓吾は、著書の『秘密の心理』で、“秘密”について次のように記しています。まず、“秘密”には自分と他人との境界を作る、境界作用があるということです。それは、ウチとソト、遠い人と近い人という、人との心理的距離を決める働きを持っていると言います。“秘密”を守ることは人との壁―隔たりを作ることを意味しますが、反対に“秘密”を漏らしたり告白することは、その相手とより親密になることを意味します。先の『秘密』では、助かったのは娘だが、実は妻の魂であることは、誰にも信用されず、むしろ平介たちがおかしくなったのではないかと思われるのが関の山です。仮に憑依が証明されれば、今度はマスコミや野次馬などの好奇の目に晒されることになり、生活が壊されるだろうと思った平介と妻とは“秘密”を共有することにしました。誰にも話せない“秘密”を共有するわけですから、否が応でも関係はより親密なものにならざるを得なかったのでしょう。 

 

その3  “秘密”の果たす役割とは

次に“秘密”には、自己確認作用という面があります。たとえば、私たちが持つ資格である臨床心理士そして公認心理師には、クライエントとのカウンセリング内容を“秘密”にする、守秘義務というものがあります。それを守ることで社会的な信頼を得て、“秘密”を守ることが自らの職業的な自己確認になるのです。

また“秘密”は集団を結束させる理由にもなります。集団内メンバーでは共有されますが、集団外の人々や社会には絶対“秘密”にしなければならない場合、“秘密”を守る意志的な努力の積み重ねにより、メンバーの集団に対する一体感が繰り返し自己確認されます。“秘密”を漏らせば裏切者になり、死を賭けてまで守る努力は、忠誠心の証になるわけです。小此木はこの集団の最たるものは秘密結社であると『秘密の心理』で述べていますが、その中でも、日本人にとって身近な存在として『忠臣蔵』を挙げています。仇討ちをするため、敵方だけでなく、妻子にまで“秘密”にしました。集団の団結と結束の強化に、“秘密”を守ることが重要な役割を果たすこともあるのです。

集団と言えば、家族もその一種です。家族内には人に言えない“秘密”が、何かしらあるものです。重大なものから些末なものまで、それは家の名誉だったり、恥になるものなどです。以前のような家長制度があった頃は漏らすことがタブーになっていたかも知れません。その“秘密”を家族外に打ち明ける、いわば家族への背信行為が、家の束縛から解放される、自立につながるのだとも小此木は言います。そして、家族には何でも話していた子どもが、話せない“秘密”を持つことが、誰でもない自分だけの世界を構築し、自分と他人の境界を作ることになるのです。それが親離れ、つまり自立となるというわけです。またまた、東野の『秘密』に触れますが,妻の直子は娘の藻奈美の体を借り、人生を生き直すことを目指します。それが夫である平介にも“秘密”を作ることになります。思春期の子なら珍しくもない、異性―ボーイフレンドとの関係を内緒にする行為が、平介の嫉妬を招き、結果的に二人の関係が夫婦から親子へシフトしていく転換点となったのです。それも二人の境界を作る“秘密”が、自立に影響したと言えるのでしょう。

 

その4 フロイトにとっての“秘密”とは

 これまでは、本人自身は知っているが、他人に対しひたすら隠そうとする意志を持つことで成立する“秘密”についての話でした。そこで今度は、本人自身も(意識の上では)知らない、本人の心の中にある無意識的な“秘密”の話をします。19世紀末、精神分析を創始したジグムント・フロイトは、初めて人の心の中にある無意識に着目した治療法を構築しました。自分自身にも気づかれない自分の心の中の無意識の感情や欲望、願望、思考が、ノイローゼの症状や、うっかり間違ったことを言ったりやったりする“失策行為”という形であらわれると言うのです。この無意識の“秘密”がノイローゼの症状としてあらわれている意味を読み取り、患者さん自身に原因を気づかせて行くのが、治療となるのです。この本人自身気がつかない“秘密”がノイローゼの症状に変換される病気を、フロイトはヒステリーと名づけました。これは「彼女は今日機嫌が悪く、イライラして、すぐキーッとなって、すぐヒステリー起こすね」みたいに、俗に言われるヒステリーとはずいぶん違うものです。

小此木は『秘密の心理』で、フロイトのこんな逸話を紹介しています。原因不明の太腿の痛みにより歩行不能となったエリザベートは、フロイトの治療を受けました。彼女は実の姉の夫である義兄をひそかに愛していましたが、ある時その姉が心臓病で急逝しました。姉の遺体を前にしたエリザベートは、その刹那「やった!これでお義兄さんと一緒になれる!」という考えが浮かびました。同時にそんな不謹慎で不道徳なことを考えちゃいけないと打消し、そんなことは考えるはずもないとも思いました。この抑えられた義兄への思慕と、それに対する罪悪感や自己処罰の気持ちが、歩行不能に至る太腿の痛みとして表現されたというのです。フロイトの治療を受け、無意識の“秘密”である義兄への愛情と、亡き姉に対する罪悪感が症状となりあらわれたことに気づかされます。治療を受けることにより、症状はなくなっていきました。さてその後ですが、エリザベートの本心を知っているフロイトは、できれば結婚させてあげたいと考えました。そこで、彼女に無断で母親を呼び、彼女が内心義兄を愛しているから一緒にさせられないかと言ったのです。それを知ったエリザベートは、自分を治してくれたのにもかかわらず、二度とフロイトのもとを訪れることはなかったそうです。この当時守秘義務の意識がどの程度あったか不明ですが、フロイトは秘密を守れる人ではなかったようです。これについて小此木は、『少し善意に解すれば、フロイトにとって重要なのは無意識の“秘密”であって、世間一般でいう“秘密”、つまり本人が意識しているような“秘密”の価値を、それほど重視していなかったのかもしれない』と書いています。小心者の私には、とても恐くてこんなことはできません。それにしても、歴史に名を残す人というのは、時に常識では測れないことを平気でしちゃうんだと驚いてしまいます。

                情野

引用文献

 (1)秘密     (文春文庫)     東野圭吾

 

 (2)秘密の心理  (講談社現代新書)  小此木啓吾